岡山県立津山高校 柔道部

柔道部について

部長からのあいさつ

中学・高校合同で活動しています。
練習時間を有効に使う工夫をしながら、全力で練習しています。

部員数

  • 3年生: 1名
  • 2年生: 1名
  • 1年生: 6名
  • 顧問 國定義憲 安井徹人 森山和人

練習日・時間

月曜~金曜
16:10~17:40
土曜
13:30~16:00(土曜講座実施日)

戦績

令和4年度

第69回中国高等学校柔道大会岡山県予選
男子個人60kg級 第2位 今岡 仁大 中国大会出場

令和3年度

第22回中国高等学校柔道新人大会
女子団体 予選リーグ 3位
令和3年度岡山県高等学校新人柔道大会
女子団体 第3位
男子個人60kg級     第2位 今岡仁大
男子個人無段の部(無差別) 第2位 今井一翔
女子個人48kg級     第3位 池上小都美
第68回中国高等学校柔道大会岡山県予選会
男子個人60kg級 第5位 今岡 仁大
女子個人48kg級 ベスト8 大西 未紗  池上小都美

令和2年度

第43回全国高等学校柔道選手権大会岡山大会
男子60kg級 第2位 今岡 仁大
令和2年度岡山県高等学校新人柔道大会
女子個人48kg級 第3位 大西 未紗
女子個人63kg級 第3位 上田侑衣菜
男子個人60kg級 ベスト8 今岡 仁大

活動写真

津山高校柔道部|活動風景
津山高校柔道部|活動風景
津山高校柔道部|活動風景
津山高校柔道部|活動風景
津山高校報道部|活動風景
津山高校報道部|活動風景
津山高校文学部|活動風景
津山高校文学部|活動風景

津山高校柔道部の歴史~白帯津山中学~

津山中学の柔道は、武専を卒業した赤川寿太郎先生が大正10年に津山中学に着任したときから本格的に始まった。
それ以前、明治39年発行の鶴城に高梁中学撃剣柔大会参列記事、40年には「我が校柔道の設置尚浅きに拘わらず道場常に格闘の影を消さず」とあり、大日本武徳会主催の大会、岡山中学、高梁中学、矢掛中学等の主催大会での記録が残っている。 以後明治43年、「この年より、撃剣柔道部から柔道部になる」と記録が残っている。 その後大正8年には、「この年より柔道角力部と称す」とあり、その創設は定かでない。
従って、赤川先生着任の年が本格的な活動の開始と言うことになっている。
以後全国大会において、大正12年、昭和3年、6年、7年と優勝、昭和9・10・11年は3連覇し、合計7回の全国制覇を果たした。津山中学柔道部は「白帯」で試合に臨み、「白帯津山中」として全国に名を轟かした。
また、その柔道は「寝技」を主体としたもので「寝技の津山中」としても全国に恐れられた。
戦後は、昭和26年に柔道部復活。27年に全国大会出場。ベスト8となっている。その後30年(ベスト8)、31年に全国大会出場。全員白帯で出場し、その柔道も伝統の寝技を主体とした柔道であった。昭和42年久々に全国大会出場。この時より黒帯での出場となった。これは、中学校で有段者になって津山高校柔道部に入部する者がでてき、「規約上白帯で出場するのは好ましくない」との見解によるものであった。以後、県内、県外各種大会において有段者は黒帯での大会出場となった。

しかし、いくら形が変わっても、先輩方が永年の月日をかけて築き上げてきた「白帯津山」の精神と伝統は、永遠に柔道を愛する後輩達の心の中に存在し続けていくであろう。

「白帯」

日本全国に勇名を轟かせた「津山の白帯」は、つまり、選手達の謙虚な心の象徴であった。少々わざが上達しても黒帯をしめて慢心が生じたら終わりである。
道は常に心の修業が第一で選手達は自覚していたのである。